SVX日記
2005-08-21(Sun) リアル、ジンジャーエール、アゲイン
先日、家族で墓参りに行った帰りに、最近流行りの「ちょっとハイソなスーパー」にてショウガビールを再発見、思わず購入してしまった。いやなに、以前にオイラが味わった「ある意味の感動」を、少しでも家族に分け与え、共感したかったからである。
しかしながら、なんじゃー!! 冷蔵庫に名前も書かず入れているにもかかわらず、誰も手をつけない。誰かが飲もうと言い出してもいいだろうに、誰も飲もうとは言い出さない。あまり「カラいぜ!!」とオドし過ぎたか? ……にしても、ちょっくら、飲んでやろうという勇気くらいはないのか? あー、いーよ、オイラが飲むよ!! 飲みゃ、いーんだろ!! 飲むってばよー!! かーッ!!
だが、感想はちょっと待て。ここでオイラが提唱する重要な定説を聞いてからにしてほしい。それは「なんでも、ニ度食ってから、文句を言え!!」である。言い方を替えるなら「二度食わずに、マズいと言うな!!」である。これはどういうことか?
以前に聞いた話だが、ある所に非常にラーメン好きの男がいた。その男は、三度の飯よりラーメンが好きで(?)、ラーメンばかり食っていたそうだ。しかしながら、日清のカップヌードルだけは食ったことがなかった。だが、ある時にすぐ脇でカップヌードルを食っているニオイを嗅ぎ、そのすばらしくウマそうなニオイに感激し、一度食ってみたいと思い始めた。なにせ、あのニオイだ、さぞやウマいラーメンなのであろう……と。そして、ものスゴい期待とともに、口にした……
……あんなにウマそうなニオイなのに、なんだこの、ラーメンとはかけ離れた食い物は。なんだこの、妙にダラダラな麺は? なんだこの、妙な具は? こんなもの、どこのだれがウマというんだ!! 二度と食うかッ!!
……あれほどマズいと思っていたカップヌードルが、なぜかその時ウマく感じたのだ。それは、ナゼか? それはそのモノに事前に抱く印象で、味が変わるからなのである。つまり、最初「ラーメンだ」と思って食ったら、その印象を裏切られるのは当然で、二度目に「カップヌードルだ」と思って食えば、その印象の中で、正しくその味を評価できるのである。これはウソのようだが、ホントの話である。
実はオイラも、そっくり同じような経験をしている。ひとつはポカリスエット。一時期ブームになっていたため、どれほどウマいジュースなのかと思って飲んだら、それは単なるすっぱい塩水であった。しばらくして、二度目に飲んだら、フツーに飲める。そんなもんである。食わず嫌いはもってのほか、一度だけ食っても、やっぱり食わず嫌いなのである。そのものをワカって食わなければ、食ったことにはならないのだから。タバコもそう。吸ったこともないのにマズいというな。まずは一箱吸って、それから批判すべきだ。嫌煙原理主義者のべらんめぇ。
感覚だってそうだ。100度のサウナに初めて入れば、アホか!! という熱さだ。しかし、そういうモンだと思って入れば、さほどでもなくなり楽しめる。いつ到着するとも知れない道のりを目的地に向かうと思いのほか長い。しかし、ある程度の距離感をツカんだ後に帰る道は意外と短かく感じる。つまり、事前の印象なしで特攻した時は、不思議な感覚に包まれたまま、意味不明なうちに終わってしまうものなのである。だから、最低でも、二度食わなければ、それに対する評価は下せないのである。これは絶対である。絶対、二度食わなければならないのである!! あー、もう一回、食べたいッ!! 食べたいッったら、食べたいッ!! そんな気分が正しい冒険者の心なのである。