SVX日記
2005-05-13(Fri) 運命の導きばかりで休んでられん
今日も運命の導きにより、SeedDestinyを観るが、ちょっとその他の話題も。Xboxの新機種登場のニュースに併せて「次世代ゲーム機の登場に不安を募らせる開発者たち」なんてニュースが出ている。要約すると「ゲーム機の機能が向上しすぎて開発が大規模になり金がかかって仕方ない」という話だ。
確かにそういう面もあるかもしれないが、ホントにそうだろうか? ユーザはそんなモノスゴい大作を期待しているのだろうか? 例えばドラクエは常に人気を博すシリーズであり、開発側も気合を入れて取り組んでおり、それなりの開発費用はかかっているだろうが「開発が大規模」だから開発費用がかかっているワケではないだろう?
モノスゴいモデリングをして、見たことの無いゲーム画面を作り出すコトに価値が無いとはいわない。しかし、そこまでいくと映画との競合する概念になるだろう。スゴい映像を作ったマトリックスシリーズは確かにスゴい。しかし、オイラが面白いと思ったのは1作目だけだった。2作目、3作目は、1作目を成功させたオゴりが見え隠れする駄作だった。見た目だけグレードアップしたトコロで内容が伴わないとダメなんだ、という見本のような作品である。
そもそもゲームの本質は映像とは別のモノだ。ホントに面白ければ「真っ青な三角に真っ赤な四角が襲いかかるシューティングゲーム」でも熱中できるハズなのである。もう20年近く前だが、シューティングゲームのアイデア枯渇が叫ばれ始めた頃、見事にそれを打ち破った「R-TYPE」の存在を忘れてはいけない。どんな状況にあっても型を打ち破るゲームは製作可能なのである。
そういう意味で、PSPとNDSの対比は愉快だ。基本的に軽いアンチ任天堂なオイラではあるが、今回の2機種の目指す指向性について語るなら、圧倒的にNDSを支持してしまう。事実、PS2の焼き直しソフトしか出ていないPSPのラインナップに比べても、NDSのラインナップは魅力的だ。あのタッチペンというハードウェアは無限の可能性を秘めているといえよう。
そして、新しいハードの素晴らしさを誉め称えつつ、過去の「古典文学」の保存も忘れてはならないと提言する。見事だと思うのがこの「タイトーメモリーズ上巻」である。まぁ、若干「名作」からは外れる作品も含んでいるが、保存という意味を考えるとその意義は高く、そしてそれを補う意味での25作品という収録数であろう。そもそも「バブルボブル」「サイバリオン」「メタルブラック」「あれ」「それ」の珠玉の5作品だけでも十分に価値があるのだから、まるで文句は無い。
惜しむらくはこれがPS2というハード上でしか動かないということであろう。ゼヒともこーゆーのは携帯ゲーム機で動いてもらいたいところだ。もひとつ言えば、オイラが前回提案した「CGPS」上で動いてもらえたらよかった。メディアはSDカードかなんかで、当然コピーフリー。思い浮かべて欲しい。家のPS2で遊んでから、SDカードに好きなゲームを数作品コピーして、通勤時にNDSで遊ぶという環境を。今日はサイバリオンで遊ぼうかなぁ。タッチペンで遊ぶから、操作性はトラックボールには及ばないトコロが残念だなぁ。あ、そーだ。帰りに秋葉で2GのSDカードでも買うか。上巻と下巻の50作品を全部入れられたら便利だしね……てな具合である。天国だろ!?