SVX日記
2023-02-25(Sat) 九四ドライブ7日目
今日は7時起き。軍艦島上陸ツアーへの参加予定なので、まずは軍艦島デジタルミュージアムに向かう。で、いきなり「ツアーで接岸できるか微妙」と告げられる。接岸は天候の影響に左右され、そもそも島の周回すら中止になることもあるらしい。最終決定はもう少し後らしいのだが。ムムム。
それはそれとして、この軍艦島について、自分的にはだいぶ複雑な思いがある。自分は、1997年発売のプレイステーションのゲーム「クーロンズ・ゲート-九龍風水傳-」のプレイを通じて、廃墟に魅力を感じ、2003年には香港に旅行した際に九龍城砦公園や重慶大厦を訪れていたりもして、軍艦島は観光地化されるずっと前から訪れてみたいと思っていた場所だからだ。当時は、漁船に頼み込んで仮に接岸できたとしても、上陸は不法侵入であり、探索の危険度も非常に高いという状況だった。それが、そんな廃墟マニアの聖地から一転、一般人が上陸できる観光地へ。キレイな遊歩道が作られ観光地化されたことに対するガッカリ感や、廃墟がブーム化していくことで薄れる特別感にちょっと寂しさのようなものを感じてもいたからだ。
にしても、この軍艦島デジタルミュージアムは、クドい。いい意味で。手抜き感がない。ちょっとヤリすぎ感を受けるほど。デカいスクリーンの前で生解説する方の軽妙な語り口もスゴくいい。思ったよりは、廃墟という扱いよりも、島の歴史的事実にフォーカスしている感。で、驚かされたのは炭坑の位置。島の真下のとんでもない深さまで潜り、そこから斜めに延びている。炭坑が島の下にあるというよりは、島は単なるマンホールの蓋に過ぎないという感じだ。そのスケール感には恐ろしさを覚えるほどだわ。
たっぷりと時間をかけて見て回ってから、普通の観光地へ。まずは、グラバー園。と、ここで唐突だが、戦艦武蔵を作ったのは佐世保ではなく、長崎だったことに気づいた。吉村昭の小説に、武蔵が船台から進水する時に対岸に衝突しないよう苦労した、とあったが佐世保には該当する対岸がない。で、帰宅して、グラバー園の高い場所からなんとなく撮った港の写真の端に、戦艦武蔵を作った第二船台が写っていた。左端の橋形クレーンがそうだ。確かに小説にあるように、港はすり鉢状の地形の中心にあり、周辺のどこから(このグラバー園から)でも見下ろせてしまうので、秘匿のために大量のシュロの葉でドックを覆った、というのはよくわかる。予習が足りなかったな。
グラバー園を後にする頃、軍艦島上陸ツアーの出航中止が伝えられた。正直、デジタルミュージアムでだいぶお腹いっぱいだったし、恐ろしく船酔いしそうな気配なので、キャンセルで助かった気分。オランダ坂を通り抜け、中華街で昼飯のつもりが大混雑で、中華街を抜けた先の台湾系カフェで昼飯を済ます。
時間が余ったので、軍艦島を目視で見ようとクルマで南にドライブすることにした。結局、目視でも意外と見えるなぁ、なんて言いながら、結局、半島のほぼ先端まで行き、結局、そこにあった軍艦島資料館を見て回る。軍艦島の資料館いくつあんだよ。しかし改めて不思議なのは、よくもまぁこんな優良コンテンツを長らく放っておいたなぁ、ってことだ。いまや軍艦島は長崎が全力で担いでいる観光資源であるが、数年前まではまったく見向きもされてなかったのだ。そう考えると、村おこしの方法なんて星の数ほどもあるんだと思える。
カフェで少し休憩して、北に戻る。ついでなので女神大橋を渡って、南から稲佐山公園へ登っていく。なかなかに微妙な道なのが楽しい。まだ明るいうちに稲佐山公園駐車場から歩いて展望台へ向かう。途中、鹿と猿にエサをやったり。展望台の中は暖かいが、外はどうにも風が強くて寒い。週末だから、結構な混雑度合いだ。ひととおり暗くなり、徐々に夜景が完成していくのを見る。本当にエラい狭いところに張り付いた行き止まりの街なんだだなぁ。帰りはスロープカーというのに乗って駐車場に戻って山を下りる。
自分のベストアーティストのひとりである村下孝蔵の楽曲に「坂道から」という曲がある。彼の楽曲の中では、ひときわ明るい曲なのだが、これが長崎のことを歌った曲なのだということに旅立つ直前に気づいた。「オランダ坂を登り 誰か探していたよ 縁切山と思案橋と 春の教会前に見てた」。気づいたきっかけは、思案橋という特徴的な地名が歌詞に入っていたこと。で、縁切山とは夜景を見た稲佐山のことらしい。んが、春の教会が大浦天主堂だとすると、それらを一度に前に見る場所って、だいぶ大きなスケールになってしまう気がするが。なんにせよ、曲調も含め、自分の持ち歌に組み込むくらいに改めて気に入ってしまった。