SVX日記
2006-01-20(Fri) デイトレーダ、ダウン
ここんトコ数日「ライブドア・ショック」やらなんやらで、エライ騒ぎになっている。個人的には、ホリエモンは独創的で面白いことをやる人だなぁ、と思っていたので、さしてライブドアには悪い印象は抱いていない。以前には余興でパブリックジャーナリスト研修なんて受けに行ってたりしたコトもあるくらいだ。だから、まだ罪も確定していないのに、あーだこーだと騒ぎ立てている外野には、非常な不快感を感じている。
どーも最近は、テレビに出ると雄弁になって自分が正義であるかのように振舞う輩が目に付く。最近のテレビの製作なんてのは、単にウケを狙って「お笑い」を求めてどこへでも繰り出すだけの団体だぞ。彼らが正しい目を持ってるなんて思っちゃいけない、正しい目を持っている奴らなら、もう少し報道することに責任を持っているハズである。だから、そんなヤツらに喜んでホイホイと受け答えをしたところで、社会的に認められたコトにはならないのだ。興味の対象にされているだけ。発言が意に沿わなければなんの断りもなく切られるのだ。芸人扱いされているだけ、なのである。
ちょっと脱線したが、まずはそもそも論だ。最近の株ブームについてオイラは大変な疑問を感じている。以前に、株式会社というシステムの生い立ちについて聞いた。なんでも「海の向こうの彼の地には上質の織物が売られているらしい、それを買い付けてきてこの辺で売れば絶対に儲かるに違いない……が、私には船がない。どうだ、私を信じて、私に出資しないか? そうすれば私は船を買って、織物を買い付け、必ずや大儲けする。その暁には出資してくれた皆に、織物と、儲けの一部を還元しようではないか」ということらしい。ホントかどうかは知らないが、大変にありそうな話ではある。で、出資の証明が「株券」だったのだろうな。
さて、そう考えると、今の株式市場の体裁はどうだ? 毎日、値が上がったの下がったのと、有象無象が大騒ぎしている。すでにそこには「経営者に対する信頼や期待」なんてものは、ほぼ存在していない。当初の形から現在の形まで、徐々に変化したのか、ある時期にガクッと変化したのか、そんなことは知らないが、少なくとも現在は、偶発的に下がった株を買って、偶発的に上がった株を売って、小銭を稼いでいる小物が群がっているということだ。
あるデイトレーダがテレビでこんなコトを発言していた「今回のライブドア株の下落で数百万損しましたよ、以前から宇宙開発だのなんだので、発言の度に株が下落するんで、いい加減、嫌気が差していたところにコレですよ、冗談じゃない」……いったいアンタは何様なんだ? これはホリエモンの「株主が一番エライ」発言を正直に受けての発言だろうか? まぁ、そんな発言をするホリエモンが経営するライブドア自体、マネーゲームに走りまくっている会社であることに間違いはなく、彼に踊らされているデイトレーダの発言としては妥当なのかもしれないが……しかし、一日に何度も買った売ったを繰り返している輩を「会社に投資している株主」と表現していいものか疑問でもある。まぁ、そんな似たような人種なのだから、一緒になって大損して、周囲から冷笑を浴びせられていればいいのだが。
だいたい、デイトレーダなどというとちょっとカッコいいが、やっているコトは、家で仕事をするワケでもなく、右から左へ金を動かして、一喜一憂しつつ、儲けたり損したり……無職で一日中競馬場で過ごしているおっさんと、人間的価値は1ミリも変わらないといえよう。オイラは何も生み出さない人間が大嫌いである。株で勝つために、企業価値がどうとか、世界情勢がどうとか、小難しいことを勉強してるのかどうか知らないが、そんなコトを勉強してA社とB社の今後の成長具合を占ったところで「何の生産性もないのである」。日本人全員がそうなってみろ、GDPがゼロになるんだぞ。その儲けた金は経済の歪から発生しているのだ。つまりマットーに働く国民の生産から出ているのだ。そこでボケっとしている銀行員の方々も同様である。景気のいいときは妙にエラそうにしているが、儲け元にしていた各企業の業績が悪くなれば、なすすべもなく簡単にボコボコと潰れる。そりゃ、金イジり以外になにもできないのだから当然である。できるコトといえば、突然に立って接客を始めて客に媚びてみたりするコトくらい。アホか。駅前で金を恵んでもらっている乞食が腹が減った時に、いつもより愛想をよくするのと同じではないか。