SVX日記
2021-04-28(Wed) 「なんとなく続けて」達した「越えた感」
「まん延防止」とやらでカラオケ屋の休業が相次ぎ、週2のヴォーカル練習が脅かされつつある今日この頃である。「寄席が社会生活の維持に必要」なら「歌も社会生活の維持に必要」なんだけどな。こちとらには戦争を終わらせる力があるんだぜ。
とはいえ、近所の行きつけのカラオケ屋は、なぜか合間を縫って営業してくれるので、こっちもそれに合わせて通うのであった。なにせ、一週間空けると、声が調子を取り戻すのに時間がかかる感じがするのだ。体感的には、3時間の練習時間の中で半分以上を費やしてしまう感じ。
そんな中、アレ? と思ったのが、前回、久々に歌った「ノーザンクロス」。最近は、高音が派手に破綻しない程度に、キーを抑えめに歌っているので、-5だったのだが、まぁまぁのピッチ、要所でのシャウトなどのパンチ、高確率で決まる揺らし、と我ながらイイと思えることに気づいた。息切れギリギリで歌い切れている。それは、採点結果にはまったく現れなかったのだけれど。
実は「残酷な天使のテーゼ」は、その作詞家のフザけた物言いにイラッときていて、敢えて歌うのを避け、これまでに片手に余るくらいしか歌ってないのだ。しかし、既に国民曲といえるほどの地位にあることは確かでもあるし、ほぼ初見で、それをどこまで歌えるのか、という挑戦のつもりで歌ってみることにした。
ガキの頃、帰宅途中にナムコの「ギャプラス」があった。割と苦手で、4面は苦痛だし、50円に見合うプレイ時間が得られない感じが続いていたのだが、なんとなく続けていて、気づくと、越えた、感があった記憶がある。そこからは楽しくなって、気づくと40面を越えていた。カプコンの「ウィロー」でも近いものを感じたな。ネガティブな感じのする「なんとなく続ける」というのは、実は非常にポジティブな行動だと思える。いまでは。でも、それは決して「努力」じゃないんだよな。決して「努力」をしてはいけないのだ。苦痛はあっても、楽しむ部分を十分に設けなければいけない。
YOASOBIの「群青」という曲に「大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ」というフレーズがある。もしかしたら、この心情を歌っているのかなぁ、と思っている。特に「あとは楽しむだけだ」という微妙な物言いが深い。それは「ド・モルガンの法則」により「そのまえも苦しむだけではなかった」と同意でもあるし。
そもそも、今の課題曲「ignited-イグナイテッド-」では、ちょっと現状の歌唱力では届かない感を受けてしまっている。それでも、これまで届かないと感じていた多くの曲に「届いた」を感じてきているし、いつかは「届くはず」と思っている。