SVX日記
2022-07-26(Tue) 法律くん大好き!
先日「行動制限なく『判断難しい』」というニュースエントリを目にした。なんでも「(コロナで)緊急事態宣言が発令された昨夏とは異なり、今年は今のところ行動制限がないため『判断を委ねられて難しい』」んだそうだ。なんつうか、片や「政府のお願いだから強制力はない」なんていいながら、イザ「お願い」がなかったら、決めてもらえなかったら、どうしていいかわからないとか、日本国国民の主体性のなさには呆れ果てる。
別視点だが、最近、話題になっているのが「車に乗っていて、横断歩道で歩行者に譲られたら」という内容だ。なんでも、違反として取り締まられたケースがあるという。理由は「法律がそうなっているから」だそうだ。本気で、頭、大丈夫なのか。
日本人は、ホントに法律が好きだ。なにか問題が起きると、すぐに法に照らして判断しようとし、訴えるとか言い出す。もしかするとその原因は、テレビ番組の「バラエティー生活笑百科」にあったのかもしれない。微妙に判断に迷うケースを持ち出してきては、最後は弁護士が一刀両断して答えを出してしまう。面白いといえば面白いのだが、そんなバカなというケースも少なくない。
ネット記事もこの流れを汲むものがある。「バイクで走行中のヘルメット、あご紐をしてなかったら違反になる?」の答えが「あご紐の装備があるヘルメットを着用する義務はあるが『あご紐をしめて着用しなければならない』とは明記されていない」だそうだ。あのさ、ヘルメットする意味ってわかってる?
そもそも、法律や規則なんてなしに解決に至ればそっちのほうがいい。自分が気に食わないことがあると、必死で関連する法律を探し出そうとする人をよく見るが、法律や規則なんて少ないほうがいいことに気づかないのか。
とはいえ、もしかしたら狂っているのは自分の方かもしれない、などとも思っていたのだが、先日、試し読みで読んだマンガ「エチカの時間」に、スッキリする記述を見つけた。「エチカ(Ethica)」とは「倫理学」のことだ。記述を引用すると。
車を止めれば無駄なエネルギが必要になるし、車に比べて歩行者は小さく目立たないし、夜に光るライトも、進行方向を予告するウインカもないし、対向車線の車の挙動まで考慮に入れたら、車を止める判断は無理ゲーレベルだ。歩行者側が車を認知する方がよほど容易だが、もしかしたら止まらないという緊張感は捨てられないし、捨てるべきでもない。だったら、歩行者を確認しつつも止まらずに通り過ぎたほうが、互いに安心して通行できるし、時間のロスもない。「横断歩道で歩行者に譲る」って規則考えたヤツって、バカじゃないの? というか、そこまで深く考えた規則じゃないのだろう。しかし、そもそも長らく眠っていたその規則を、誰かが掘り返してきたのをいいことに、オトリを使って取り締りしている警察って、自分の心に照らして恥ずかしくはないの? ねぇ? ねぇ?